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招福兎行vol.13 妖刀村正

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ー魔剣ー

 

その響きは厨二心を掴んで離しません。

 

そんな紫オーラ渦巻く怨嗟の魔剣の中から、今回は伝説の妖刀として名高い「村正」について調べてみました。

 

もくじ☟  

 

名刀村正

伊勢桑名(三重県 桑名市)の刀工。

 

千子村正(せんごむらまさ)

 

母親が千手観音に祈願し村正を生んだ事から、己を千手観音の申し子とし、千子の姓を名乗ります。

 

初代村正の最古の銘が1501年とされており、以降、数代に渡りその名を襲名する事により1668年の頃まで存続していたとされます。

 

名刀正宗」に勝るとも劣らない「村正」の刀剣は、その切れ味の凄まじさから天下人や大名、上級武士に愛用される。

 

 

ふむ、なるほど。

 

歴史に名を残す人物や、セレブ侍まで幅広くその刀の虜になった訳です。

 

虚兎も画像で見ただけですが、その美しさたるや、まるで時が止まったかのよう。

 

しかし本来これはただの美術品ではありません。

 

当時はこれを腰に挿し、時として実際に抜いて戦ったのです。

 

こんな大きな刃物を振り回されたらと思うと恐ろしいですね。そんな時代の中、「村正」は絶大な人気を誇っていました。

 

まさに強さと美しさを兼ね備えた刀であると言えます。

 

 

 

妖刀村正

さて、程よく身体も暖まってきた所で、肝心の「妖刀」としての性質を見ていきましょう。

 

いかに村正が名刀だとしても、刀が一般的だった当時ならともかく、この現代でこれ程の人気を博しているのは「妖刀」と言う、なんかかっこいい感じの属性があるからに他なりません。

 

伝説の妖刀と語り継がれるゆえんとは一体何なのでしょう。

 

いつの時代も、人は神秘的なものに魅了されるものです。

 

そしてそれが忌むべき物であったとしても。

 

 

「村正」を語るに、こんな言葉があります。

 

 

 

 

一度抜いたら、血を見るまでは鞘に収まらない

 

 

 

 

誰の言葉ですか?

 

さぁ。わかりません。

 

ネッ…古文献を漁っている時に見かけた言葉です。

 

しかしまさに「妖刀」を象徴するかのようなキャッチコピー。

 

まさか、刀の邪悪な怨念が血を求めているとでも言うのでしょうか…

 

 

 

まさか…ね…

 

 

徳川家の厄災

村正の妖刀伝説は江戸時代から語りつがれていたようで、その理由は江戸幕府初代将軍 徳川家康

そう。かの徳川(松平)家に由来します。

 

 

家康の祖父 松平清康(1511〜1535)

尾張(現・愛知県名古屋)守山城攻略の最中、家臣の阿部正豊謀反に会い命を落とした。

 

家康の父親 松平広忠(1526〜1549)

松八弥の奇襲に会い、負傷する。

 

家康の妻 築山殿つきやまどの(不明〜1579)

岡本時仲と野中重政により自害を迫られ、それを拒んだため手を下される。

 

家康の嫡男 松平信康(1559〜1579)

織田信長の要求により、二俣城にて切腹をさせられた際、解釈(長く苦しむ事の無いよう、直後に首を切り落とす)に使われた刀。

 

徳川家康(1543〜1616)

2度に渡り怪我を負う。

 

 

以上の際に使われた刀や槍が、なんと全て村正銘だったとの事です。

 

 

徳川家の一族は村正によりことごとく負傷を負い、また命を落とす事になったのです。

 

まさに徳川家に向けられた怨念そのもの。

家康はこれを徳川家に仇なす刀として忌み嫌い、村正の携帯の禁止まで発令したとか。

 

家康は日光東照宮にて、東照大権現(とうしょうだいごんげん)と言う神として祀られております。

 

まさに神をも恐れぬ呪いの刃と言う事ができます。

 

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写真はイメージです。村正ではありません。

虚兎の持っている模造刀、備前長船(びぜんおさふね)と、パナ○ニックの空気清浄機です。

 

真実はどちらに

真実とは時に残酷です。夢を奪い、ロマンを奪います。キラキラと輝いていた瞳はいつしか、突きつけられた現実を前に汚れきり、心は冷たく閉ざされてしまいます。

 

 

 

徳川家の災難の時代、村正の作る刀は以外にもどちらかと言えばリーズナブルな方で、決して高価な物ではありませんでした。

 

一説には、初代の村正は農耕具を製作していたようで、戦乱の時代に刀の需要を感じ、刀鍛冶に転職したそうです。

 

しかしその完成度の高さで話題になった村正は、武士達に好んで愛用される事となり、その時代けっこうみんな村正を持っていたようで、一連の徳川家の災厄に絡む「村正」と言う不気味な共通点も、つまりまぁありえる事だったとされています。

 

しかもたった1人の妻や子が被害にあったのなら呪いも現実的ですが、家康には妻も子も、正確な数はわかりませんが、少なくともどちらも10人以上はいたそうです。

 

村正本人にしても、とくに徳川家を呪う理由などなく、なんなら徳川家康本人も名刀と名高い村正」を何本も所持していたとされています。

 

 

……ふむ。

 

 

…なるほど。

 

 

誰ですか…

 

 

 

 

 

 

 

血を見るまで鞘に収まらないとか言ったやつ。

 

 

 

 

 

 

 

なんとも恐ろしい話です。

 

 

 

 

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