こんにちは。虚兎です。
虚兎はブロガーとして高水準な情報をお届けするべく、日々勉学に対して余念がありません。
先日も知識を深めるため、某レンタルDVD屋さんにて、日本の歴史を知る上で重要な参考資料をレンタル。
そこには「昭和の日本」が映っておりました。
「昭和」
まさに我が国、日本が歩んだ1つの時代。
今回は古き良き時代と言われる昭和の日本について知っていきたいと思います。
昭和
百姓昭明にして、万邦を協和す。
1926年12月25日〜1989年1月7日(昭和64年)
この62年と14日間は昭和と呼ばれ、日本が大きく高度成長を遂げた時代です。
昭和の出来事
東京タワー(日本電波塔)
1958年12月23日(昭和33年)
テレビ、ラジオの総合電波塔。
地上16階、地下2階。高さ333m(実際は332.6m)のこの電波塔は、総工費30億円と約22万人の人員によって、東京都港区芝公園に完成しました。
このタワーには材料としてアメリカ軍の戦車の鉄も使用されています。
1964年10月10日〜10月24日(昭和39年)
第18回夏季オリンピックが開催。
日本は🥇16🥈5🥉8。合計29個のメダルを獲得します。ちなみに選手村は代々木公園。
オリンピック開催に合わせて東海道新幹線や、東京モノレールの開通。
首都高速道路や、地下鉄の延伸と言った主要な交通機関の発達も加速していきます。
ディズ〇ーランド
1983年4月15日(昭和58年)
ディズ○ーリゾートではなくディズ○ーランド。
当時はディズ○ーシーはなく、ランドのみ。まだファストパス制度もありませんでした。
総事業費1800億円。オープン当日の来場者数は約18000人。わずか1カ月後には100万人に達したそうです。虚兎のブログと同じですね。
昭和の日常
高度成長期の時代、昭和。人々や、街の様子はどうだったのでしょう。あらためて見ると少し驚く事もあるかもしれません。
駅、電車
電車内でタバコが吸えた
今では信じられません。しかし昭和と言う時代は電車、バス、タクシー、ホテル、病院の待合室、映画館など、ほとんどの所でタバコが吸い放題の時代でした。
JTの喫煙者率調査によると、1965年(昭和40年)の統計開始依頼、男性喫煙者のピークは1966年の83.7%そして厚生労働省の調査では、2019年の男性喫煙者は27.1%。女性は7.6%と言う事です。
ちなみにセブン○ターは1969年(昭和44年)の発売当時は100円でした。
乗車券は切符
もちろんSuicaやPASUMOなんてものはございません。電車に乗る時は定期か切符。ましてや自動改札などもってのほか。
当時はあの場所に駅員さんが立っていたのです。
お客さんが切符を差し出し、すかさず駅員さんがペンチのような形状の切符パンチ(鋏こん)で切符の一部をカットするというシステムでした。
ビジネス
携帯電話
今のキッズはスマホがいつから普及したか知っているでしょうか。その前身であるガラケーは?
なんとその普及は「平成」に入ってからの事。
昭和時代の携帯電話はビジネスマンのための物でした。
携帯電話が世に姿を表したのは1985年。NTTがポータブル電話機「ショルダーホン」を発売。
肩掛け式の本体に有線の受話器がくっついているという通信兵のようなスタイルで、本体と電池の重さが合計3キロもあったといいます。
その後1987年。現在の電話に少しだけ近づいた受話器のみのタイプが発売。しかしまだまだ「携帯」とは言うものの、そのフォルムはさながらレンガのような大きさだったのです。
子供
駄菓子屋
10円や30円くらいの小さなお菓子がありますね。いわゆる駄菓子(だがし)と言うものです。
現在でもスーパーやコンビニなどで売っておりますが、当時はそんなものではございません。
駄菓子屋と言って、駄菓子だけの店があったのです。
個人商店としてやっており、店の規模は決して広くはないですが、子供達の社交場として皆に愛されておりました。今ではあまり見かける事はなくなってしまいましたが、虚兎も目を閉じれば100円玉を握りしめて駄菓子屋に走ったあの頃を思い出します。
紙芝居屋
どこからともなく自転車で現れ、紙芝居を見せてくれるおじさんです。
いやべつに都市伝説の類ではありませんよ。
荷台には箱状の紙芝居セットが搭載されており、左右に開くと紙芝居の舞台が出来上がり。
水飴と言うお菓子や、ソースせんべいというお菓子などを売っており、子供達に自作の紙芝居を見せてくれるおじさんです。
しかし実は多くは水飴屋さんが行っており、紙芝居の方がオマケなんだそうです。
今で言うとストリートパフォーマーとか
になるのかもしれませんね。
こちらは言わずとしれたロッテが誇る超人気シール付きお菓子です。
初代は1977年発売ですが、我々の良く知るいわゆる天使対悪魔シールは1985年発売の10代目。
しかも女の子向けに、ビックリコと言う商品まであったそうです。
当時の菓子メーカーはビックリマンに続けとばかりに各社色々なシール付きお菓子を販売。
ガムラツイスト。ドキドキ学園。ハリマ王の伝説。他にもまだまだ。
しまいには「ロッテ」ではなく、「ロッチ」と言うニセモノまで。
しかしある意味こちらの方がマニアからするとレアかもしれませんね。
昭和のブーム
昭和のあの頃。老若男女の心ときめかせた、一大ブームを見ていきましょう。
1983年(昭和58年)
我らの任天堂から発売された家庭用ゲーム機の王者。通称「ファミコン」。
スーパーマリオをはじめ、ゼルダの伝説や、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなどの超ビッグタイトルも全てはここから。
世界で6191万台を売り上げ、令和時代の今も尚、熱烈なファンを持つモンスターマシンです。
パンダ
1972年(昭和47年)
中国より来たりし癒しの塊。ジャイアントパンダが日本にやってきたのが昭和47年。
名前はカンカン♂とランラン♀
「日中国交正常化(日本と中国が外交を結ぶと言う事)」のシンボル。
上野動物園には約6万人が来場し、その行列はなんと2km。あまりの人気ぶりに2時間待って30秒しか見れない事態に。
1986年(昭和61年)に放映された台湾映画、「幽幻道士」日本では1987(昭和62年)年に放映。
ホラーやカンフーはもとより法術を使用する時のアクロバティックな動きなど、日本国民にワイヤーアクションと 驚異の身体能力を見せつけたのです。
中でも最大の人気要素である美少女道士テンテンの存在は凄まじく、全国の少年達の心をハートの矢でぶちぬいたのでした。
テンテン役のシャドウ・リュウさん。
現在は松竹芸能所属で活躍しておられるそうです。
いかがでしたでしょうか。
時には童心に帰り、少しだけ昔を振り返ってみるのも良いものです。
1989年。また一つの時代が静かに幕を閉じます。
戦後と言う激動の時代、日本を支えた人々。
共に笑い、泣き、過ごしたセピア色の時代。
もう2度と戻る事のない日々。
しかしいくら時が過ぎても、我々はあの頃を忘れる事はないでしょう。
ありがとう。
昭和。